作れるようになったが、売れるようにはなっていない
堀田昂佑(NarAI 開発・執筆)・公開 2026-07-28
AIで何かを作れる人のことが、少しうらやましく見える——そういう感覚は、いまわりと広く共有されていると思う。私はこの3ヶ月、その「作れる側」にいた。
そして、うまくいかなかった。
副業のリポジトリには、この3ヶ月で1,700ほどコミットが積まれている。リポジトリはサービス1本ぶんの作業場所、コミットはそこに残る作業の保存記録のことで、1,700回ぶん手を動かした、と読んでもらって差し支えない。サービスをいくつか公開して、いくつかは畳み、いくつかは誰にも知られないまま今も動いている。
作ったものは、自分ではいいものだと思っている。そこは今も変わらない。変わらないから、余計に説明がつかなかった。
腕が足りなかったのなら、話は早い。もっと作れるようになればいい。ところが履歴を開くと、逆のことが書いてあった。
速くなったことは、記録に残っている
最初に作った記録アプリは、初コミットから最後のコミットまで75日かかっている。623コミット。稼働した日は37日ある。
最後に作ったアプリは、2日で終わっている。37コミット。この2日で、コンセプトを詰め、画面を作り、動くところまで持っていった。
あいだの3ヶ月で何が起きたかというと、単純に速くなった。同じ人間が、同じような規模のものを、75日ではなく2日で形にできるようになった。「AIで誰でも開発できるようになった」という話は、少なくとも私の手元では本当に起きている。誇張ではないし、まだ加速する余地もありそうだ。
だから最初、私はこれを良い変化だと思っていた。手が速くなったなら、打席に立てる回数が増える。回数が増えれば、当たる確率も上がる。そう考えるのが自然だと思う。
同じ記録に、もう一本の線が引かれていた
各リポジトリの中に、集客やマネタイズについて考えた形跡がどれだけ残っているか——ファイル名に acquisition、marketing、seo、pricing といった語を含むファイルが何本あるか——を数えてみた。
この数え方は雑である。ファイル名だけで中身を見ていないし、集客を考えたことがドキュメントとして残るとも限らない。それでも数えたのは、雑な指標でも動きが出れば、そこには何かがあると思ったからだ。
最初の2本には、合わせて46本あった。最後の4本には、8本しかない。うち2本はゼロである。
順に並べると 22、24、12、3、0、6、2、0。きれいに単調に減っているわけではない。それでも、前半と後半で桁が変わっているのは、数え方の雑さでは説明がつかない。
減ったこと自体には、そこまで驚かなかった。驚いたのは、最初はやっていたということのほうだ。集客が要ることを知らなかったわけではない。軽く見ていたわけでもない。最初のプロダクトには、集客戦略という名前のドキュメントが22本もある。読み返すと、けっこう真面目に書いてある。
知識の問題ではなかった。時間の配分が、いつのまにか動いていた。
遅さが、考える時間を確保していた
なぜ動いたのか。ここは記録に残っていない。以下は推測である。
実装に数週間かかっていた頃は、その数週間ずっと、頭のどこかで「これは誰が使うのか」が動いていた。通勤の途中でも、寝る前でも、勝手に浮かんでくる。浮かんでくるから、思いついたことをファイルに書く。集客戦略のドキュメントが22本あったのは、たぶん熱心だったからではなく、時間があったからだ。
作るのが2日で終わるようになると、この時間がなくなる。問いが立ち上がる前に、動くものが目の前に出てくる。
そして動くものが出てくると、次のアイデアが湧く。これが厄介だった。次に行ける状態にあること自体が、次に行く理由になってしまう。頭の中では「これは検証が済んだから次だ」という筋が通っていて、実際には何も検証していない。公開はした。誰も来なかった。それを確かめる前に、次のリポジトリを作っている。
速さは、私から失敗を隠したわけではない。失敗を確かめる工程を、丸ごと不要にしてしまった。
二日間で、五本が止まっている
7月11日から12日にかけて、5つのリポジトリで、最後のコミットが打たれている。飲食店を探すアプリ、ジャーナリングのアプリ、同窓会の幹事を助けるアプリ、手続きのナビ、そして2日で作ったアプリ。それぞれ別の日に始まり、別の理由で始めたはずのものが、同じ2日で一斉に止まった。
そして9日後、新しいリポジトリが始まっている。いま書いているこのプロダクトだ。
これを「気づいて切り替えた日」と書きたくなる。実際、私の記憶ではそういうことになっている。ただ、記録からそう言い切ることはできない。単に全部が同時に飽きの臨界を超えただけかもしれないし、その両方かもしれない。どちらなのかは、履歴からは決められない。
決められることもある。5本が2日で止まったということは、それぞれのサービスに固有の問題があったのではない、ということだ。手を止めた理由は、作られたものの側ではなく、作っている人間の側にあった。
では、作らないほうがよかったのか
いいえ、と答える。ここは迷わない。
作ったから、作れることがわかった。作れることがわかったから、作れることには値段がつかないこともわかった。この二つ目は、読んでも身につかない種類の結論だと思う。少なくとも私は、3ヶ月前に同じ文章を読んでも、頭では理解して手は止めなかった。1,700コミットは、それを腹に落とすための代金として、そんなに高くなかったと思っている。
惜しいのは、途中で気づけたはずの回数だ。1本目で誰も来なかった時点で、2本目の作り方は変えられた。変えなかったのは、2本目を作るほうが、1本目がなぜ来なかったのかを調べるより、ずっと楽しかったからである。
万能感、という副作用
Claude Code を使い込むと、たいていのものが作れるようになる。日本語で頼めば、動くものが返ってくる。作れた、が積み重なっていくと、そのうち何でも作れる気がしてくる。
この感覚は、半分は正しい。現に作れているのだから、錯覚ではない。私の履歴が示しているのも、まさにそこだ。75日が2日になった。
正しくないのは、その先である。作れると当たるが、感覚のうえでは地続きに見えてしまう。作れるものが増えるほど、当たるものにも手が届きそうに思えてくる。一発当てられそうな気が、してくる。
けれど履歴が証明しているのは「作れる」の側だけだ。当たったかどうかについて、1,700コミットは何も語っていない。何も語っていないのに、私は語られたつもりでいた。
派手な話には、気をつけていたつもりだった。「Claude Codeで◯日で作った」「もう誰でも開発できる」の類は話半分に見ていたし、ああいう投稿に乗せられる側にはならないと思っていた。
やっていたことは、その投稿と同じである。投稿しなかっただけで、中身は変わらない。
疑っていれば免れる、という話ではなかった。私が疑っていたのは他人の投稿のほうで、自分の手元で「作れた」が積み上がっていく感触には、疑いを向けていなかった。
同じ3ヶ月、本業では
副業で消耗していたあいだ、本業では別のAIエージェントを使い倒していた。Claude Cowork のほうだ。
やっていたことは地味である。新しいサービスは1本も作っていない。AIエージェントとは何なのかを調べ、任せ方をいろいろ試し、自分の業務を1つずつ、任せられる形に置き換えていった。それだけだ。
そちらは、成果が出ている。使った時間に対して返ってきたものが、副業とは比べものにならない。
派手さで言えば、副業のほうが圧倒的に派手だった。3ヶ月で8本のサービスを作った、と言えば、たぶん話は聞いてもらえる。本業でやっていたのは、毎週少しずつ自分の仕事の形を変えていく作業で、外から見て面白いところは一つもない。
そしてSNSに流れてくるのは、だいたい派手なほうである。作った側の話は投稿されるが、作らずに自分の仕事を直していた3ヶ月は投稿されない。置いていかれた感じがするとき、比べている相手は、たいてい投稿された側だけだ。
結果は、逆になった。
力の使い先を、間違えていた
では、Claude Code が悪かったのか。そうは思わない。あれがなければ3ヶ月で8本は作れなかったし、万能感を持ったこと自体も、たぶん自然な反応だと思う。
間違えたのは、手に入れた力をどこに向けたかのほうだ。何でも作れる力を、私は当てにいくことに使った。当てにいくのは、作る力とはまったく別の技能が要る仕事で、私はその技能を持っていなかった。持っていないことに、作れる楽しさで蓋をしていた。
同じ力を、すでに毎日やっている自分の仕事に向けたほうが、成果になった。地道にAIエージェントについて勉強して、自分の業務に当てていく。少なくとも私にとっては、これがAIとの付き合い方として正しかった。
一発当てた人は実在するし、これからも出るだろう。私がその側に回れなかった、というだけの話ではある。
順番が、逆だった
新しいサービスを作るのは、心底やりたいものが出てきたときでいい。そう考えるようになった。
これは「作るのをやめる」ではない。実際、探索用に作った調査リポジトリだけは3ヶ月間ずっと生きていて、いまも週に何度か更新している。調べることと勉強することはやめていない。むしろ、作る前の工程に時間を戻しただけである。
順番が逆だったのだと思う。「AIがあるから何か作らなければ」は、道具が目的を作っている状態で、これは道具の使い方としては転倒している。何を実現したいかが先にあって、そのあとで道具が選ばれる。当たり前のことを、3ヶ月と1,700コミットかけて確かめた。
「自動で儲かる」について
自動で稼ぐアフィリエイト。自動で動画を生成して収益化する仕組み。この手の話は今もよく流れてくる。
いま実際に儲けている人がいるのは、たぶん本当だと思う。そこは疑っていない。
ただ、この先も同じかというと、そうは思わない。作る側のコストがゼロに近づくものは、供給が増える。供給が増えたものは、単価が落ちる。私のリポジトリで起きたのは、その縮小版だったと考えている。1,700コミットは、供給が増える側に自分がいたという記録である。誰でも作れるようになった、ということは、誰でも作れるものには値段がつかなくなった、ということでもある。
これは予測なので、外れることがある。外れたら、外れたとここに書き足す。
同じ轍を踏まないために、私がこれからやること
4つとも、次に何か作りたくなった日に、その場でできる。
- 作り始める前に、最初のユーザー10人の名前を書く。属性ではなく、実在する人の名前。書けないなら、まだ作らない。これは作らない理由を探す作業ではなく、作る前に確かめられることを確かめる作業である。
- 集客の手段を、実装より先に1行で書く。どこに置けば見つかるのか。1行で書けないものは、作れるが売れない可能性が高い。
- 作る時間と、売り方を考える時間を、別々に記録する。私はこの比率が壊れていることに3ヶ月気づかなかった。記録さえしていれば、1ヶ月で気づけたと思う。
- その力を、いまの仕事に向けられないか先に考える。毎日やっている作業に同じ道具を当てるほうが、私の場合は成果が出るまでが圧倒的に短かった。新しいサービスは、その次でいい。
おもちゃ、という言い方について
頭の中では、ずっと「次のおもちゃに夢中になってしまった」という言い方をしていた。実感には合っている。
ただ、この言い方は一つ誤解を作る。おもちゃと言うと、遊びだった、真剣ではなかった、と聞こえる。実際には真剣だった。真剣に作って、真剣に売れなかった。深夜まで書いていたし、UIの角丸で悩んでもいた。
だから、態度を改めれば直るという話ではない。改めるのは配分のほうだ。真剣さが全部、生成の側に寄っていた。足りなかったのは気合いではなく、工程の設計である。
それで、9本目にこれを作っている
いま作っているのは、AIエージェントへの仕事の任せ方を、ブラウザの中で練習するための教材である。8本のサービスを畳んだあとで、9本目にこれを選んだ理由は、上に書いた3ヶ月そのものだ。
AIの情報は、いま多すぎる。多すぎるうえに断片的で、しかも毎週入れ替わる。追いかけていると、何かを覚えた気持ちにはなるのに、自分の仕事は何ひとつ変わっていない、ということが起きる。私は3ヶ月、それをやっていた。手は速くなったのに、届いた先は増えなかった。
だから、こういう人に向けて作っている。
- 何か作れるようになって、次に何を作ろうか考えている人
- 作って公開したのに誰も来なくて、理由がわからない人
- 情報は追いかけているのに、自分の仕事が何も変わっていない人
- 腰を据えて、基礎から勉強したい人
一つめは3ヶ月前の私で、二つめは2ヶ月前の私だ。三つめは、たぶんいちばん人数が多い。速い情報は速いというだけで正しさを持たないし、断片は断片であるかぎり業務には刺さらない。刺さらないものを浴び続けて置いていかれた気持ちになるのは、浴びている側の落ち度ではないと思う。四つめは、いまの私である。
派手な成果は約束しない。落ち着いて、まずは基礎から。遠回りに見えるが、私の3ヶ月を見るかぎり、それが一番の近道だった。
そしてこれは、n=1の記録である。私のリポジトリではこうだった、というだけで、AIで作ったサービスは儲からない、という一般則ではない。同じ3ヶ月を過ごして違う結果になった人がいるなら、その記録のほうを読みたい。
無料の範囲は、登録もメールアドレスも要らずに触れる。この3ヶ月の話にどこか心当たりがあるなら、読んで納得するより、15分動かしてみるほうが早いと思う。
この記事だけ、NarAIのほかの読み物と違って一人称で書いている。プロダクトの見解ではなく、開発者個人の記録だからである。
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