NarAIの行動規範
最終更新 2026-07-20
私たちは、AIエージェントをめぐる言説のかなりの部分が間違っていると考えている。だからNarAIを作った。
ただ、間違いを指摘して回る仕事には、よく知られた末路がある。批判が芸になり、否定の切れ味で注目を集めるようになり、いつのまにか批判している相手と同じ経済圏の、別のニッチに収まる。「煽らない」と言いながら煽っている状態は、本人からはいちばん見えにくい。
私たちがそこに落ちない保証は、心構えの側にはない。志の強さは検証できないからだ。検証できるのは、書いたものが規範に照らして合っているかどうかだけである。だからこの規範を公開する。守れているかを、読む側が判定できるようにするために。
一. 批判には、代替の学習手順を添える
何かを「それは違う」と言うときは、代わりに何をどの順で学べばいいかを、同じ文章の中に書く。手順を書けないうちは、批判をまだ公開しない。
なぜ——正しさの指摘だけなら、コストがほぼかからない。指摘は簡単で、代替案の提示は難しい。この非対称があるから、批判だけが増殖する。手順を添える義務は、私たちの発信速度を意図的に落とす。落ちた分が、読者にとっての価値になる。
二. 個人の失敗事例を晒さない
批判の対象は、言説・構造・その言説が広がる仕組みに限る。特定の個人や企業の失敗を、実名や特定可能な形で教材や記事の材料にしない。事例が必要なときは、複数から抽象化するか、私たち自身の失敗を使う。
なぜ——誰かの失敗を晒すと、記事はよく読まれる。読まれるから、次もやりたくなる。この誘引に一度乗ると、失敗を探す目で界隈を見るようになり、そこから先はもう教育ではない。それに、間違った実装をした人の大半は、間違った説明を信じただけの側である。刃を向ける先を取り違えている。
三. 先行議論を引用する
私たちが到達した結論に、すでに誰かが到達していないかを調べる。していれば引用する。私たちの独自性がどこからどこまでなのかを、そのつど明示する。
なぜ——調べずに書けば、たいていは車輪の再発明になる。それを「新しい視点」として売るのは、読者から先行文献にアクセスする機会を奪う行為である。加えて、引用は自分の位置を測る道具でもある。先行議論と並べたときに何も残らなければ、その原稿は書く必要がなかったということだ。
四. 新しい専門用語を作らない
既存の語で説明できることに、私たちの造語を当てない。既存の語がどうしても足りない場合だけ新語を使い、そのときは既存の語との差分を明記する。
なぜ——造語は、理解が進んだ感触を安く作れる。用語を覚えた読者は前に進んだ気持ちになるが、実際に増えたのは私たちの語彙圏への依存だけ、ということが起こる。用語が独自であるほど、学んだ内容は他所で通用しなくなる。教育プロダクトが顧客を囲い込む方法として、これはいちばんたちが悪い。
五. 断定できないことは、断定しない
確度の違うものを、同じ強さの文で書かない。実証されていること、私たちの推論、まだ賭けでしかないことは、文中で書き分ける。予測が外れたときは、外れたと書く。
なぜ——歯切れの良さは読まれる。「〜かもしれない」は弱く見え、「〜である」は強く見える。だが強く言い切った分だけ、読者は自分で確かめる機会を失う。私たちが売っているのは結論ではなく、判断できる状態のほうである。断定は、その商品を毀損する。
六. 比喩は、外す時期まで設計する
理解の入口として比喩を使うときは、その比喩が成り立たなくなる境界と、乗り換え先のモデルを、同じ教材の中に置く。比喩を置きっぱなしにしない。
なぜ——「AIを雇う」も「経理担当のAIがいると思ってください」も、入口としてはよく機能する。問題は、足場を外し忘れたときに、比喩が実装として固まることだ。私たち自身が比喩で教える以上、この危険は他人事ではない。足場を組む者に、外す責任がある。
七. 指摘を受けたら、訂正の履歴を残して直す
この規範に反した記述の指摘を受け付ける。妥当だと判断すれば直す。直すときは、元の記述と、いつ何をどう変えたかを併記する。判断が分かれる指摘には、直さない理由を書いて残す。
履歴を残す対象は、教材本体とこのページである。X上の投稿は、訂正が必要になれば投稿し直すが、履歴の併記まではしない。字数の制約下で版を重ねると、かえって元の記述が追えなくなるからだ。ただし、投稿の内容が一〜六に反していた場合、それを免れるわけではない。
なぜ——規範は、破ったときに何が起きるかまで書いて、はじめて規範になる。破っても何も起きないなら、それは規範ではなく自己紹介である。訂正を静かに上書きすれば、私たちは常に正しかったことになってしまう。間違いの履歴が残る文章のほうが、間違いのない文章より信用に足る、という考え方に賭けている。
学習者に、刃は向かない
この規範を通して一つだけ変えていない前提がある。批判の対象は界隈と構造であって、学習者ではない、ということだ。
難しそうだと敬遠してきた人。基礎を飛ばしてCLIから始めてしまった人。会社の画面をスマホで撮って生成AIに投げてしまった人。どれも、間違った説明が広く流通した結果の側にいる。責任は、説明した側にある。
その上で、この規範はNarAIを縛るためだけのものではない。ここに並んだ七つは、そのまま、あなたが誰かの発信を読むときのチェックリストとして使える。批判はしているが代わりの手順を示していない。誰かの失敗を晒して伸びている。先行研究に触れずに「独自理論」と言う。造語が多い。すべてを同じ強さで断定する。比喩を出したきり戻ってこない。間違いを認めた形跡がない。——どれか一つでも当たれば、その情報源との距離を測り直す理由になる。
私たち自身がこの七項目に照らされる側でもある。破っている箇所を見つけたら、教えてほしい。指摘の宛先は info@narai.me / X: https://x.com/narai_me。
この規範は改訂されうる。改訂時は変更点と理由をこのページの末尾に追記する。